ふたたび 皐月のこと

                             

1日
(金)新聞の占いによると、今日の私の運勢は、午後になるとパワーがあがるそうだ。道理で朝から眠くてねむくて…。
 日めくりカレンダーは、心新たになる筈の(ならなければならない)「1日」が訪れているというのに。
 この原因は3つ。ひとつはゆうべ、晦日の日記を更新していないことに遅くなってから気がついて、11時頃からパソコン作業にとり取り掛かったこと。
 2つ目が、読んでいる本が面白くて止められなくなり、夜中まで読んでしまったこと、そして、最後は旦那がしばしば息をするのをさぼるので、気になって、そのたびに突っついていたこと。
 でもいつの間にか眠ってしまい、起きたら旦那のベッドはきちんと片づけられて、姿がなかった。
 なんだ、生きてるじゃないの、ああ、気にして損した。
 ゴールデンウイークに入ったけれど、今日は考えたら普通の日だった。郵便局に行ったらがらがらで、窓口の顔なじみのお嬢さんが眠そうなけだるい声で、「こんにちは」という。
 
「こんないいお天気なのに、座っていて勿体ないわね」と言ったら
「どこかに行きたいです」と返事が返ってきた。
 連日郵便局が閉まっていたらこちらは困るけれども、ゴールデンウイーク中なので、なんだか気の毒な気がした。
 駅の周りの4軒の花屋さんは思いっきり華やいでいる。見るものが全部欲しくなりそうで、足早に通り過ぎた。

2日(土)テレビで究極の美容整形という番組を見ていて、ふっと思いついた。
 以前山のように作ったお人形の中に、どうしようもない「おブス」が10以上あって、さすがにこれは行く先がなく、2階の階段の途中や、サイドボードの上など、もっとどうしようもないのは、箱の中でおしくらまんじゅう状態でもう1年が経っている。そうだ
あの人たちのために美容整形をしよう。
 そこでかき集めてみたら、たしかにどうしようもない性格の悪い顔をしているのばかり。
 いままでこれを放りっぱなしにしていたのは、ひとつには首をすげ替えることに抵抗があったからなのだ。
 目をつぶって、えいやっと首をちょん切る。白い羽二重を直径8センチの丸形に切り、周りを縫って綿を入れれば形が出来る。
 ここで気をつけないと、顔の形が悪くなり、いままであまたある失敗作は、すべてこの段階での私の責任なのだ。
 今回は丁寧に、ていねいに綿を均等に入れたので、これで目鼻を可愛くしてあげたら、見違えるような美人ちゃんの出来上がりになる筈。2時間ほどで、5人くらいが生まれ変わった。ついでに洋服も着せかえてあげることにした。
 これからこの作業を始めれば、今年のデイホームのクリスマスプレゼントに間に合うだろうし、なによりも気になっている、そこらじゅうに押し込んである小さい端布も整理がつくというもの。
 目下足が痛くて歩きたくないので、家の中で退屈しないことを見つけて、なんだか晴々しい気分になった。

3日(日) テレビで渋滞情報を見ていて、もう何時間も車の中に閉じ籠められての遠出をするパワーは無くなったな、と思う。
 若い頃は運転が大好きで、何時間も楽しく運転したものだったな。一番の思い出は、新車を買った時に、試運転と称して家族で伊勢まで行ったことだ。
 まだ東名高速が貫通してなかった当時、東海道をひた走った楽しいドライブだった。
 浜名湖の河口で、後ろの座席に乗せた子供たちが、開いていた窓から折り紙を飛ばしていた光景が、まだ目に焼き付いている。
 今はテレビの前で、「へそてん」でひっくり返って、渋滞の有様をヒッヒッヒッと嬉しく見ている、性格のわる〜いおばはんと相成った。
 連休中の痛みどめが足りなくなって、我慢していた旦那は、限界にきた。病院がお休みなので、キョウコさんに電話をして、御主人の医院で応急の薬をお願いする。
 お使いの途中で頂く約束をして、洗足駅で待ち合わせ。
 1時間ほどお互いにストレス解消のおしゃべりタイムを過ごしたので、ご飯の支度が間に合わず、駅前のお寿司屋さんで海鮮チラシを買って帰る。
 旦那は薬が効いて、今「鳴いたカラス…」みたいに機嫌がよくなって私もやれやれ。


      
     


4日(月)お昼過ぎにいつも通りデイホームにいったら、入ったとたんにヒラノさんに
「センセイ今日来るかしらね?」と心配していたのよ、と言われた。
「憚りながらワタクシめ、決めたことはちゃんとやるオンナでして…」と言い返した。
 ホントはゴールデンウイークだからって、他の予定がなにもないのだ。
 先週「コグレ♂」に「もっと易しい歌をやって」と言われていたので、今日は童謡を中心に歌うことにした。
 それにしても、連休中なのに出席のいいこと!ご家族にとってはこのデイホームの時間は救いの神なのかもしれない。
 お使いに行くつもりだったのが面倒になって、冷蔵庫の残り物で済ませることにしたけれど、頭を使えば結構それらしいおかずが出来るものだ。
 今夜のお惣菜は、大根をあごだしで薄味仕立てに煮て、3切れほど残っていた鶏のモモ肉とキャベツをオリーブ油で炒めて、味付けにえのきだけの壜づめをごちゃごちゃと混ぜた。
 旦那があまり食べないので、殆んど私が平らげた。
 このところ晴天続きで、花の水やりが欠かせない。

5日(火)折角の子供の日だというのに、午後になって雨となった。夕方から本降りで、お使いの帰り路にちょっとお隣の奥様と立ち話をしていたら、裾がびしょぬれ。
 4月の日記に美味しいおせんべを見つけたことについて、いろいろの人の顔が浮かんだ、と書いたら、マチコさんが私もはいってるかしら?とメールしてきた。
もちろん入ってますとも!
 そうなると「すぐやる課」を任じているワタクシ、すぐ行動に移してしまう。
 電車で4つ目はすぐ目と鼻の先だけれど、駅からはちょっと歩く。
彩りのない町だなあ、と思いながら目当ての場所にたどり着いたら、懸念していたとおり、シャッターが降りていた。
 そりゃそうだわ、なんたってゴールデンウイークの真っ最中だものね。
 傘をさしてひと駅歩いて戻ったのは、もう1軒のかりんとを売っている酒屋さんが目当てなのだ。
 どうか開いてますように、と念じて行ったら、店は見事開いていたけれど、買いたかった梅味もわさび味もほとんどなくこれではお友達に分けてあげられないじゃないの。
取り敢えず他の物も混ぜて、有っただけ買ったら、結構な荷物の嵩になった。
 どっちみちおせんべいと両方は無理だったということ。思い出して駅の反対側の商店街にある人形町で有名な人形焼きのお店に行って、焼きたてを10個包んでもらった。
 このお店は、人形町の暖簾分けだけれど、「うちのほうが絶対おいしい」、とご主人は断固といった感じでいう。
 とても美味しいけれど、私は人形町のお店で買ったことがないから、「はあ〜」というだけ。
 連休が終わったら、もう一度おせんべいを買いに行かなきゃ。
 ずっとメールがなくてとっても心配しているF子から、極上の新茶が送られてきた。でも手紙がついてなく、電話してもでないのはどうしたことかしら。また入院してるのでなければいいけど……。

6日(水)何人かのとても気になっている人のうちの一人、ジュンコさんから電話があった。
 なんだか声が違って聞こえたので、一瞬聞き返してしまった。私のお姉さんのような存在の彼女は、もう30年も前に入院していた時に隣のベッドに居て、1ケ月の間に仲良くなって以来のお友達だ。
 誕生日が2日違いで、とても気が合って、しょっちゅう交流があったのに、このところの数か月音信不通だった。
 話を聞いたら、入院していたという。一人住まいの彼女がとても気になって、よくお使いをしてあげていたのだけれど、私も旦那の病気で、気になっていながらのご無沙汰だった。
 今は週2日のヘルパーさんのお世話になっているという。これからこういう話が増えてくるのだろうな、となんだか暗澹とした。

7日(木)連休中痛み止めを連用していた旦那が、薬が効かなくなった。
 ここ数日夜中に度々起きるので、私も寝不足気味で、いささか限界を感じていた。連休が明けた今朝、病院に連絡してほしい、と言われて、なんだかすこしほっとした。
 電話で連絡をして主治医のY先生が手術の終わる3時に予約を入れた。20分ほど待たされて呼ばれて行ったら、H先生が座っている。話をしているうちにY先生が現れて、今日は珍しいことに、H先生とY先生が二人並んで診て下さり、入院が決定。
 慎重派のH先生は、「今は良い薬がたくさんあるから心配しないで」、
と言われたけれど、Y先生は、H先生が席を外したときに「言い方は悪いけれど麻薬的な薬を使います」、とずばり言われた。
 2人の先生の性格か、歳のせいか、でも、こちらも予測していた結論だから納得する。
 今回が9回目の入院で、本人もエキスパートみたいな顔をしている。顔見知りの看護師さんが入れ替わり立ち替わり様子を見に来てくれて、点滴の痛みどめが効いて、なんだか安心した顔をしているのを見届けて、2時間程で家に帰り、この数日散らかり放題だったリビングをきれいにした。
 今日こそはゆっくりと寝たい。それにしても家に近い病院を選んだのは正解だったと思う。

8日(金)なんだか曜日の観念がなくなってしまい、ええと、今日は何日?から始まって、何曜日?と自問自答している自分が恐ろしい。
それほど単調で且つ多忙な、つまり、同じことの繰り返しの連日なのだけれど、旦那が入院して、自分の中に久しぶりにメリハリが生じたような気がするのも事実。
 この間買いそこなったおせんべいを、買いに行こうと思い、ミノを誘って武蔵小山に行った。
 まずアーケードの中の「井門」で久々に姉弟でチャーシューメンと五目そばのお昼を食べる。このお店は元気だった頃のジュンコさんと2回ほど行ったことがあった、安くておいしい店。
 目的の松亀せんべいは、今までで一番おいしいお店で、ミノに教えてもらってとても嬉しかったのに、奥さんが入院中で、もう今月中に店を閉めるという。ついてない。
 古びた店内に置いてあるおせんべいが、売り切れ次第に店を閉じるという。
 旦那は今日胃カメラを飲んだけれど、胃の中はきれいだったと先生に言われて、ちょっとほっとした。
 でも今後は痛みを抑えるためにモルヒネを使うことになったと説明されて、すこし不安。
 今日はモルヒネと心臓のためのパッチを2個貼られていたけれど、これが効くまでに6時間かかるそうだ。
 治療法が確定したら帰っていいです、と言われたけれど、家に帰って大丈夫なのかしら?
 大型雷雨が去った後、夕方病室の窓から、雨あがりの大きな虹が見えて、夕焼けに照らされた湾岸の赤い塔がきれいだった。
 羽田から上がった飛行機が虹を横切っていく。乗っている人に虹は見えたのかしら。
 嬉しくなってノリコに電話した。夜帰ってからおかずを恵んで貰おうと思い隣の彼女の家に行ったら、電話の後で屋根に梯子をかけて登って虹を見た、という。私の子だなあ。
 ゴーヤチャンプルを持ってきた彼女は、10時まで付きあってくれた。私ってやっぱり甘ったれなんだ。


9日(土)朝溜まっていた洗濯ものを干してお昼前に病院に新聞配達に行く。
 やっと痛みのとれた旦那は、穏やかだったけれど、なんだかボーっとしているのは薬のせいらしい。
 ベッドについている主治医の名前はH先生とY先生の連名になっていた。道理で代わる代わる顔をだされるのだと判った。
 今朝も二人の先生が時間差で、「ご飯を食べられましたか」と聞きに見えたという。
 お昼に付き合い、お膳を下げていったん帰宅。このところの雨で洗濯物を2度洗う羽目になったのに懲りて、早々にしまう。
 夕方もう一度病院に夕刊を持って行ったら、やっぱり眠そうな顔をしていた。
 今日高山のハーチャンから焼き菓子が送られてきた。彼女は小学校からのお友達で、いつもなんとなく気になっているのに、すっかりご無沙汰していた。嬉しくてすぐに電話をかけて、26分間の旧交復活を果たす。お友達っていいな。

10日(日)朝8時、旦那が病室から電話をしてきた。昨日の晩大変だった、というので詳細を聞いたら、確かにたいへんなことが勃発したらしい。
 夜中にトイレに行こうと思って起きあがったとたん、眼まいがおこりベッドから落ちて動けなくなり、どのくらい経ってのことか判らないけれど、看護師さんが発見して、ベッドに戻して貰った時は、40℃近く熱があり、下血したという。
 電話を聞いて、慌てて病院に行ったけれど、まだ朦朧としている。
 強い薬のせいなのか、病気の進行によるものか、明日になってみなければはっきりしたことは分からない。
 これからこういうことがたびたび起こるのかもしれない。
 今日は出来るだけ傍についていることにしたけれど、矢鱈と眠いという。それでも食事は頑張って食べてくれた。
 日曜日のことでもあるし、病院の中の出来事で、ほんとうによかった。
 夕方には段々とはっきりしてきて、食後の薬のつけ間違いを発見するまでになったけれど、この件に関しては、セットした看護師さんの重大ミス。只さえ強い薬を使って、副作用に苦しんでいるのに、朝1回飲むべきものが、夜にもついてきた。
 私だったら知らないで飲んでしまったと思う。このこと先生には報告されるのかしら?
 今日は母の日で、息子の家で夜の食事に呼んでくれたのが嬉しかった。


               


11日(月)朝のうちに大急ぎで洗濯物を干して、整形外科医院に注射を受けに行き、その足で旦那の病院に行った。
 足に疲れが溜まったみたいで、歩くとおもたい。今日は両膝に注射をしていただく。待合室の周りは足を引きずっている人ばかり。
 旦那は思ったより元気で少し安心したけれど、昨日の出血が多かったのでお昼ご飯を止められた、とご機嫌が悪い。
 1時間ほど横に座って話し相手をしてから、またまた大急ぎでデイホームに行く。
 始まるまでソファでぼんやりしていたら、疲れてるみたい、と指摘されて、顔に出ていたのかな、とちょっと意識してしゃきっとした。
 帰りにそのままもう一度病院に行ったら、H先生からのお呼び出し。CTを撮ったけれどまだ出血の箇所が分からない。
 おそらく胆道からと思うけれど、このままヘモグロビンが減り続けたら輸血の必要がある、といわれた。
 でも血液検査の結果、ボーダーラインながら、どうやら数値が横ばいだったので、夜ごはんが食べられることになった。
 とにかく体力を回復させましょう、との御託宣。
 血液型O型の私は旦那に血液をプレゼントできるな、と気がついた。性悪の血はいらないって言われるかしら。
でももしあげられたら、旦那とは血縁になるぞ、と考えたらなんだか楽しくなった。話して反応を見ようかしら。

12日(火)約束の時間ピッタリの10時半にミワコさんが来訪。1時間後にマチコさんが現れて、久々のM・M・Kトリオの日。
 例によってエールの交換で、取れたての野菜(トマト、きゅうり、ふき)やら珍しい白ゴマ油などを頂く。
 私からはこの間仕入れてきたお煎餅と、かりんとを持って行っていただく。お昼は駅前の「天一」で久々の天丼。
 そのまま「モンブラン」になだれ込みコーヒーで3時半までとめどなく、おしゃべりを垂れ流す。
 この時間が最高なのだ。なんの気遣いも必要ない、それでいて、どこかにメリハリとけじめのあるトリオだ。
 久しぶりに遊んでいただいて、私の溜まっていたストレスはきれいさっぱりと溶けてしまった。
 旦那は朝の血液検査でヘモグロビンのデータが6に落ち込み、午後から輸血が始まった。
 今日と明日の2回に分けて血液製剤800ccが入れられるという。輸血が初めての旦那は、ちょっぴり不安定で、私は旦那のお友達のN先生に電話をして、納得のいく説明をしていただいた。
 それにしても両腕に点滴を差しながら、食事ができるというのは新発見。やたらと眠たがっているのはモルヒネのせいかしら。

13日(水)83回目のユトリーバ。
朝のうちは曇り空だったけれど、お仲間が集結する頃には空が高くなってきた。
 今日は9人のお客様で、余分なものを取り除いたリビングも狭く感じられる。
1ケ月に1回の至福の時を充分満足して、5時半に最後の方がお帰りになる。私はそんなにつまみ食いをしなかったのに、お喋りでお腹がいっぱいだった。
 今日は朝病院への新聞配達の通りがかりに、郵便局に寄って車の税金をを払い込む。
 お客さまのみえる時間になってしまったので、午後、病院に行って旦那のサインを受け取り、火災保険の書類と銀行に振り込む事務一切をノリコにやってもらい、とても助かった。
 6時の病院の食事時間に合わせて、もう一度旦那に会いに行く。2回目の輸血が終わって、昨日より血色がよく、元気だったので、これなら、と安心した。
 今日から病室にクーラーが入り気持ちがいい。

14日(木)このところテレビを見てひとりで腹を立てている。
 いつも同じ顔ぶれの芸能人たちが、精神のゴムが緩んだような馬鹿騒ぎで、画面いっぱいに自分たちだけで盛り上がっている番組が横行しているのに、誰も批判しない。
 それとどうしてこんなに食べる番組が多いのかしら。もうひとつの腹立ちは芸能人がお金をひらひらさせて現ナマが飛び交っている場面が多いことだ。
 世の中は100年来の不景気で職を失って路頭に迷っている人が出ているのに、1時間番組で1万円を超す食事をしているの、どうにかならないのかしら。
 お昼の食事時間に、箱に入れた煎り大豆を分け合って食べていたネパールの子どもたちの顔が浮かんでくる。
 あと30年経ったら、日本は糖尿病の薬が足りなくなるぞ。
 その時になって「ニャロメ、思い知ったか」って言えたらスカッとするだろうに、アタシャ多分そこまで生きていないだろうね。 と、ちっとも面白くない、低次元のギャグで盛り上がっている奴らめを見ながら(さっさと消しゃいいのにね)、思わずおせんべいを食べすぎて、苦しいわ。
 九品仏さんに地代を払いに行ったら、紅葉の新芽がとてもきれいだった。夕方から大風が吹いて、病室の窓がひゅうひゅうと音をたててうるさい。夜半になっても風が吹き止まない。

15日(金)朝病院に行ったら、なんだかご機嫌が悪い。そりゃそうだろう、病院生活なんて、面白いわけがない。
 熱い紅茶を入れて行ったのに、そこにおいてけ、なんて言って飲む気配もない。
だからあまり長く居ずに引き揚げて、西小山の駅まで行く。
 今日はカリントの買い出し。朝マキちゃんから電話で明日彼女の家に行くことになったので、そのお土産にしようと思い立ったのだ。
早くについたので、人形焼きを買って、洗足から歩いてきたミノと合流して、偶然見つけた居酒屋に行って、「ふわふわオムライス」というのを食べた。これめっけもん。
 一旦帰って1時間ほど昼寝。今日はなんだか肌寒さを感じる。そこいらにあるものを手当たり次第にかぶって寝てしまった。
 夕方もう一度病院に行ったら、今度は明るい顔をしている。今朝Y先生が見えて、入院が長引きそう、と言われたとか。
 私だってどう考えてもそんなに早く出られる筈がない、と思っているけれど、本人にしてみたら一日も早く帰りたいだろう。
 でも今朝の血液検査の結果、半分以下になっていたへモグロビンが、輸血の効果ですこし上がったらしい。
 それで表情の変化が納得できた。夜はご飯を作るのが面倒だったけれど、頑張ってアジの干物と野菜炒めを食べた。
 私は体に少々お肉が付いたみたい。これは間食のしすぎとわかっている。でもわかっちゃいるけどやめられないのは、ストレスがたまっているから。このストレスは週末に解消させなきゃ。

16日(土)朝病室に行ったら、旦那のベッドがからっぽで、隣のベッドがふさがっている。
 あれ?どうしたのかな?と近寄ってみたら、なんだか痩せこけていて、意識がないみたいな様子。
 一晩のうちに何事かが起こったのかと、ドキドキしたけれど、どうやら旦那とは違う人だった。ナースステーションに聞きに行ったら、痴呆で病状の重い人が入ったので、ナースステーションに近い所にその人を入れて、旦那の部屋を移したということだった。
 2人部屋だけれど、二人入れるわけにいかないので、との説明だった。
 物は考えようで、旦那の状態が少し良くなったことによると解釈したけれど、ちょっぴり納得がいかなかった。
 前よりすこし暗い部屋になって、病人はなんだか憮然としている。でも病院が今空いているので、2人部屋を独りで使うことができているだけよかった。
 午後になって息子に付き合ってもらって大型店にエアコンを買いに行った。2階の寝室のが最近始動時に大きな音を立てるので、買い替え時と思ったため。今日から家電のエコポイントがスタートしたということだけれど、なんだか訳が分からない話なので、そのことは無視して、1台購入した。
 夕方からマキちゃんの家にお呼ばれで久々に兄弟家族が集まっての大騒ぎ。楽しかったけど、あまりの賑やかさにクタビレタ。
 久々に御馳走を食べて満足。人に作ってもらうのってほんとにしあわせ。帰ったら11時を回っていた。

17日(日)今日は隣のノリコ夫妻が1泊で河口湖に行くというので、私も目覚まし時計を掛けて早起きする。
 昨日タケトシ君がお母様を迎えに行って、朝2人で帰ってくるというので、素ッピンというわけにいかない。
 6時半に起きてお化粧をする。セツコお母様とは、電話では喋っているけれど、本当に久々。
 彼女と話していると、止まらなくなる。「今度は泊りがけでいらして」、と再会を約して、私は病院の前まで車で送って貰って別れる。
 お互いに今は夫を病院に入れての一人暮らしなのだ。
 猫のマイちゃんの世話を頼まれているので、私は何となく責任を感じて、それでも夕方までは見に行かない。
 この子は私にまったくと言っていいほどなついていない。私が行くとすっ飛んで逃げるのだ。
 それなのに、<これぞ猫!> ご飯をくれると知って、すり寄ってくる。
 夕方病院に今日2度目の顔出しをして、寝てばっかりでもいけないと、デイルームに行って、30分ほど過ごしたら、そのあと8度1分の発熱。無理が通らなくなった。
 今日は雨でおまけに強風が吹き荒れている。せっかくの河口湖なのに、かわいそう。
 

                                 



18日(月)かんらからからと晴れる。よかった!でもなんと暑い日なの。天気予報では7月の気温という。
 旦那のことがちょっと気になって、9時に整形の先生の所に注射をしに行き、そのまま病院に顔を見に行く。病室が暑いので、すぐに冷房を「弱」で入れたけれど、いささか年季の入ったエアコンより、自然の風のほうが気持ちよいことに気がついて、網戸にしたら、初夏の風が通り抜けて行った。
 旦那はゆうべ寝るときに誘眠剤を飲むのを忘れて寝てしまい、夜中に飲んだので、朝血液検査に来たのも眠っていて知らなかったという。
 飲むのを忘れて寝てしまうくらいなら、飲まなくてもいいような気がするけれどな。
 紅茶と小さなおかきを1切れ持って行って、朝のおめざのテイータイム。
 私は万年睡眠不足的症状で、ちょっと座ると寝たくなる。
 お昼ご飯の時間をつき合って、一旦帰り、デイホームへ、泳ぐように空気をかきわけて行く。
 それでも今朝は注射のお蔭で比較的早く歩けた。「今日の先生、とってもいい声」と褒めてくれた人がいた。どうやら体調とは関係ないらしい。私も1時間みんなと歌って、調子を取り戻した。
 夕方バナナジュースを作って病院にもう一度行ったら、しっかりと寝ている。
 今日はすこし熱が出たみたいで、普段冷たい手が熱かった。今朝の血液検査で、またヘモグロビンが下がったという。
 7時過ぎまで座っていたけれどあまり話をしない。
 帰ってからテレビを見ていたら、ノリコが河口湖から帰ってきた。猫のごはんのお礼ですと言って、草餅、チーズケーキとほうとうを持ってきた。ちょいとしたアルバイトだったなあ。

19日(火)今日も真夏に近い暑さとなる。今日は朝からお昼まで病院に座っていた。
 1時にマチコさんが来訪。この間味をしめた採れたての野菜をまた持ってきて下さるというので、私はリキを入れて、出かける前にお昼ご飯を作った。
 こういうことでもなかったら最近の私はご飯作りをさぼりにさぼっている。そのうち御飯の炊き方も忘れてしまうのではないかと思うほどに……。
 2時間かけて風の如くやってくるマチコさんは、4時にまた風のごとくお帰り。交通費だけでも大変なのに私ときたら何の気配りもできず甘えっぱなし。
 私の止まるところを知らない話に、少々うんざりした顔をしながら、辛抱強く付き合って下さるのだ。
 夕食の時間にまたバナナジュースを作って病院に行ったら、娘と息子が相次いで現れて、病室がいっぱいになった。
 今日は楽しかったので、足の痛みを忘れていた。

20日(水)新型インフルエンザがとうとう東京にやってきたとニュースが報じている。
 なんとも迷惑な話だけれど、この新型なるものは何故か若い人にばかり標的を当てているという。町にはマスクも消毒液もなくなったそうな。病院に悪い菌を持ち込んでは大変なので、毎回の手洗いとアルコール消毒で手がふやけてしまった。
 旦那はなぜか今日元気。明日の血液検査の結果を見て、もう一度カメラを飲むか、データがよければ退院の方向に向けて考えるという先生のおはなし。でも、データが悪かったらまた輸血なんてことにもなりかねない。
 私は毎回違うシチュエーションの元に立たされて、まごまごしてしまう。
 ついこの間の状況を考えると、家に帰っていいのかしら?と疑問が湧くけれど、Y先生はなるべく家で過ごさせたい考えの様子。インフルエンザにでも罹ったらイチコロよねえ。
 今日は熱帯夜。

21日(木)鏡を見たらぎょっとした。私の後ろに誰かいるのではないかと思うような、違った顔が映っている。
 そういえば美容院にしばらく行っていない。ビヨウインに行く時間を、ビョウインに充てていたというわけ。
そこで今日の午後の予約を入れた。
 かさかさな髪が勝手な方向を向いてわがもの顔に暴れまわっているのを見れば、流石のわたしも放ってはおけなかった。
 美容院に電話を入れておいて、その前にと、朝のうちに病院に行ったら、Y先生が病室に見えて、今日の血液検査の結果がそう悪くないので、このままでいけば来週の中頃に退院できるでしょう、とのことだった。
 でもまだ37度台の熱は続いているのに。
 お昼に一旦帰って2時半に美容院に行き、そのまま自由が丘の街に降りた。「AURA」のカクマツさんからバーゲンの葉書がきていたので、Tシャツを買いに行ったというわけ。
 そのまま又旦那のところに行ったら、電話したのに居なかった、という。なんの用事かと思えば、紅茶とカステラが食べたかったのだという。携帯にくれればいいのに、と言ったら、携帯にも入れたけれど出なかった、という。
 見たらカラの留守電がはいっていた。持ってこようか?というと、うん、というので、仕方なしにご飯を食べている間に大急ぎで家に帰って、注文のものを持って行った。そこまではよかったけれど、病室でちょっとしたはずみに腰を捻った。
最近2、3回こういうことが起きていたのだけれど、今回はどうもやばい雰囲気。9時になってお風呂に漢方の入浴剤を入れどっぷりと漬かってから、張り薬を付けたけれど、あしたになっても治らなかったらどうしよう。
今23時。まだ治っていない。

22日(金)6時半に目が覚めて体を点検した。どうやら昨日の腰痛は治ったみたい。でも体中が疲労感に溢れている。
 流石の私も今日ばかりはあきまへんわ、といった感じ。
 雨戸をあけて、またそのままベッドに転がって9時まで本を読んでいたけれど、9時になると配達の人などが来る恐れがある。
 のろのろと下に降りて、昨日のお風呂を追い炊きして入り、腰を温めた。
 10時頃旦那の定期便の電話が鳴る。来週退院の話が出ているけれど、体力に自信がないと言ったら、リハビリをしたらどうか、ということになったという。
 1時間後また電話が鳴る。今度はもし来られるなら爪切りを持ってきて、置いてきたお菓子は全部食べた、紅茶は少し残っている、とのご報告。要するに持って来い、ということなのだ。でももう走りまわるのはやめよう。それより昨日「AURA」でみたジャケットを買って気分転換を優先しようかしら。ドイツ製というにはスリムで、白地に花を散らした上等のコットンが気に入ったけれど、昨日はお財布の中身を考えて見送ったのだった。思い立ったのですぐに電話をして、取っておいて、と頼む。
 今朝はバナナジュースを飲んだだけ、お昼は雑穀粥とマチコさんのトマトで済ませた。それなのに体重は減らない。まだまだ私はスタミナがあるんだわ。
 病院に行ったらリハビリの先生が来ていた。旦那は、若くてハンサムでと、お気に入りの様子。

23日(土)最近また四十雀が鳴くようになった。今朝から家の外の電柱のてっぺんでキス、キス、キスと叫んでいる。
 そんなにキスがしたいなら、はやく飛んで行って相手を探しなさいよ、と言ってあげたいくらい。
 腰痛は治まったけれど、起きたら体中が痛い。よっぽど力を入れて寝ていたらしい。
 今日は寝室のエアコンを取り換えに来る予定だったので、寝坊してはいられないと、がんばって起きたのに、工事の関係で日延べをしたと息子から伝えてきた。家を建てて十数年、あちこちに不具合が出てきて、エアコンは交換したのが3台目。
 そのたびに、問題が起きているのは、配管が外壁に面していないことだ。
 今回は改良された換気機能つきというのを選んだら、部屋の内壁を管が這うことになるというので、選び直しとなった。
 大手の建築会社に発注したけれど、設計に問題があるということなのではないかしら。
 何年もたって気がついたことは、設計士との話し合いが足りなかったということ。でもこっちは素人なんだから、設計屋さんが悪かったということにならないかしら?
 昼前に旦那の顔を見に行って、食べ終わった昼食のトレイを下げに行ったら、主治医がナースステーションから出て見えて、小康状態です。なるべく来週中には帰れるようにと思っています、といわれる。
 会うたびに先生の言うことに微妙なずれを感じるのは、病状も不安定ということ。
 私のくたびれ振りも最高!廊下で出会った看護師さんが、ネパールでカマラ先生からもらった手作りのネックレスを褒めてくれたので、ネパールの話をした。
 病室に戻ったら、旦那が今朝リハビリの先生が、現役時代何をやっていたのですか?
と聞かれたので、開発したアルミの新幹線の話をしたという。
なんだか1日で私たち夫婦の素性が明らかになってしまった感じ。
 今日って最高に暑くて眠い日。


24日(日)今日の日記は午前1時からのスタート。ゆうべ病院の帰りに、思いついて木畑亭に晩ご飯を食べに行った。
 すっかりご機嫌で10時過ぎに帰ったら、冷蔵庫の氷がすっかり溶けている。慌てて他の物を点検したら、中身が全部とろとろ状態。夕方まで凍っていたものが全滅だ。昨日の朝から冷蔵庫の音が鳴りやまないな、と思っていたのだけれど、気になりながらそのままにしていたら、どうやら壊れたらしい。
 こんな時隣に子供たちが住んでいてなんとラッキー!タケトシ君が電源を抜いてくれて(昨日のエアコンの話に関連するけれど冷蔵庫の電源のコンセントが、なんと、裏側にある)、中身を出来るだけ2軒の家に分散。
 それでも入りきらないもののために、私は深夜の街をコンビニに走って、氷を6袋買ってきた。
 それなのに、ああそれなのに、あると思っていた大きいトロ箱を、先週捨てたのを思い出した。
 旦那が、何かの時に必要だから取っておけと言ったのを、入院中で留守を幸いと、わたしゃ捨ててしまった。
こんなに早くに罰が当たるとは思ってもいなかった。でも貧乏神さま、そんなことでめげるおばばではござんせんよ。
 とにかく冷凍野菜は煮て、鶏肉は塩コショウで焼いた。これ夜中の仕事。水が出て電気が点く幸せというのも大きい。
 午前中にタケトシくんの車で、大井町のヤマダ電機へ買いに行く。つい2、3日前に池上のコジマ電気でエアコンを注文したばかり。
 旦那の退院時に備えてプールしていたお財布が、どんどん軽くなる。今朝未明までの作業が尾を引いて、眠いうえに腰痛が起きて、夕方までどんよりとした意識の中で、捨てる冷蔵庫の掃除をする。
 10年間働いてくれたお礼の気持ちと、よくもよくもこんな時に壊れてくれたわね、という恨みがない混ざっている。
 今夜のご飯は、夜中の冷蔵庫から溢れた肉まん。
 それにしてもお腹がヨーグルトの飲みすぎでブカブカ状態。やれんなあ。


          


25日(月) 一日中忙しかったなあ。9時半に整形のシミズ先生の所に注射にいく。今日こそは腰痛など起こしてはいられないほどスケジュールいっぱいなのだ。だから両ひざと腰に注射。そのまま旦那のところに新聞を持って行ったら、これだけ?と聞く。
 新聞もっていっただけでもありがたく思え、と、横隔膜のあたりで呟きを飲み込んで、もう一回来るからね、と納得させる。
 今日はなんだかご機嫌が悪くてことごとにつっかかってくる。
 だから忙しいこともあって早々に引き揚げた。
 調剤薬局で私の薬を受け取って、大急ぎでお昼ごはんを食べて、デイホームに行く。
 ここに来ると私も元気が出る。帰ったらノリコが大奮闘して冷蔵庫をどけたあとの大掃除をしている。ここで三拝九拝。
 4時近くなってレイコさんが、自由が丘に来たから、と旦那にゼリーを持ってきてくださった。
 彼女の骨折の最終診察日で、この次は6ヶ月後なの、ととても嬉しそうだった。
 お茶を飲んでいるうちに冷蔵庫が配達されてきた。流石に新しいステンレスが光って気持ちがいい。
 雑用をノリコを呼び込んで任せ、私はレイコさんとおしゃべり。100歳を過ぎたお母様の介護の話を興味深く聞く。
 夕方頂いたゼリーなどを持って、もう一度病院に行く。小さなおせんべいとチョコレートをひとかけづつ口に入れてあげたら、嬉しそうな顔になった。馬鹿に素直。朝のことを反省したのかな?

26日(火)今朝は3時に起きてしまった。暗闇の中で、つらつらといろいろなことを考える。
 主治医のY先生は、旦那がすっかり自信をなくしていると、そのことをとても心配してくださっている。
 その理由は私にはわかっているのだ。2、3日前に、「介護保険の申込みをしておいたら?」と看護婦さんに言われた。
 その翌夜、病室に家族が偶然揃った時にもう一度そのことを言いにきた人が、旦那のいる前で、「今は入院していて元気だけれど、家に帰ってもっと弱ったら、そのうちに全く動けなくなるから、その時では遅い」とのたまわったのだ。
 一瞬凍りついた。新聞を読んでいた息子が、新聞を広げたままその人を部屋の外に押し出した。
 リハビリを受け始めて、自主的に階段を上がったり降りたりしていた旦那は、翌日から自信を喪失した。
 <言うにこと欠いて本人の前で>と思ったけれど、そのことについてはまだ、ナースステーションに対してはコメントを避けている。
 今は旦那の最良の環境作りが一番だから。病人の前でそんなことをいう人だから、どんな逆恨みを受けるかもしれない。
 この病棟では今回の入院で、2回薬の間違いがあった。看護婦さんの人数も減ったようだ。
 これって本当なら病院の浮沈にかかわる大問題なのではないかしらね。
 薬の件は幸い旦那が気がついて、看護婦さんを呼んだため、その場限りのことに終わっている。これもどこまで通じているのやら。多分上層部は知らない話だろう。
 今風に看護師と呼ばないで昔風の「看護婦」と呼んでいる所以。家から近いのと、先生が信頼できるという理由で病院を変えないでいる。でも最後には言おうかしらね。

27日(水)少し雲行きが怪しいひとときもあったけれど、今日も気温が高い。風が吹いて洗濯日和なので、目についたものを片端から洗う。
 お昼に病院に行ったら、旦那が今回の入院で食事が粗末になったことに気がついた、という。
 そういえば毎食同じ食材が並ぶようになった。100年に1回とやらの不景気風が病院の中にも忍び込んできているようだ。
 病棟の看護婦さんの平均年齢も心なしか上がっている。若い人の姿があまり見られないのは、給料が安いのかしらね、と旦那と話した。
 食事時間が済んで一旦家に帰り1時間ほどベッドにころがって、心地よい夢を見ていたら、旦那から電話で、主治医が見えて、明日の検査の結果をみて、週末に退院できるかも、と言われたという。
 介護の点では心配も残るけれど、メンタル的には、家に帰るほうが本人のためという気がするのも事実。
 私のシングルライフも充分楽しませて頂いたし、そろそろ生活サイクルを戻してもいいと思った。6月は忙しくなるだろうな。
 パソコンの時計が深夜ちょうど12時を差したと同時に、庭の枝を渡る夜の風が聞こえてきた。
 窓を開けてみたら、筆で刷いたようなオレンジ色がかった雲が流れてゆく。この分では明日は雨だろう。
 こんな夜中に表を掃く箒の音がしている。お向かいさんは寝られないのかしら。

28日(木)怪しげな雲行きが本格的になって、ついに降り出した。この際五月雨なんていう風流なことを言ってはいられない。
今日はミワコさんが庭仕事のお手伝いをして下さることになっている。家主はよれよれ状態でも、庭木はとどめることを知らぬ成長ぶりで、あれよあれよという間に、2階のテラスに枝を差し伸べ始めているのもある。
10時半という約束の時間ピッタリにチャイムが鳴って、彼女のご登場だ。
今日は久しぶりにカレーを作って粗末なお昼を御馳走、あとは空をにらみながらず〜っとおしゃべりに暮れた。
それでも一寸の間に、2階のテラスまで伸びていた月桂樹と銀杏が形を整えられていくのを、私はずっと見物。
またしてもお友達の手厚い友情に幸せを感じる日となった。

29日(金)朝旦那から電話で、主治医が週末の外泊を許してくださったということだった。
 もしかして退院?と思っていたのは当てが外れた結果だけれど、心配で帰せない先生の気持ちも理解できる。
 午前中に世田谷区の「あんしんすこやかセンター」のヒライさんが突然のご訪問。
 あまりの乱雑ぶりに、「わたし嫌いなものはないけど、掃除だけはキライなの」と言わずもがなのエクスキューズ。
 月曜日のボランティアコーラスの帰りに、介護保険の申請についてちょっと聞いてきたのだけれど、今日の訪問で申込手続きがただちに完了した。
 実際に効力が発生するのは1ヶ月半先だけれど、取り敢えず使えるものということで、前倒しで出来る方法があるというのを聞いて、レンタルの介護ベッドを頼んだところ 今日のうちに配達してくれることになった。
 なんだかとても温かい人情に触れた気持ち。
 今夜の食事はうちで、と思っていたのだけれど、旦那が思いやってくれたのか、夜ごはんは病院で食べる、という。
 週末に出られなくなることを思って、病院に報告に行った帰りに、二子玉川の紀伊国屋に文庫本の続きを買いに行った。
 何故か、家の周りにある本屋ではどこにも探せない続きもの。目下これがなければ私は就眠出来ないのだ。
 又行くのが面倒で、残りの7冊をまとめて買ってきた。これで当分安心して寝ることができるというもの。
 ベッドは夕暮れ時の6時半に届いた。初めて介護生活に入ったという実感が湧く。
 日曜夜病院に戻るまでの3日間に、旦那の落ち込んでいる気持ちを引き上げなければ。

30日(土)夕べ帰ってきた旦那は、体中に毒ガスを溜めこんでいたようで、散弾銃を発射させたようにあたりに不満をまき散らす。
 私たちはぐっと我慢の子で、黙って病院や周りに対する不満を聞いていた。でも一夜明けたら言うだけ言って落ち着いた様子。
 朝食の後で薬を飲もうと思ったら、1種類入っていないという。今朝はエアコンの取り付けにも来るので、私はあわてて病院の4階病棟に行く。これで薬の間違いは3回となった。どこまで緊張感がないのかしらと、いささか呆れはてた。でも落着きを取り戻した旦那は、「誰がやったかわからないんだからきついことをいうなよ」、と的外れの理解ある一言。「はいはい」、と家を飛び出す。病棟では流石に「すみません」という言葉が返ってきたけれど、私は心の中で、ごめんで済む問題じゃないよな、と思いつつ、旦那のいうとおりに、「どういたしまして」とにこやかに帰ってきた。ほんとはこういう人間が怖いんだぞう、って誰か気がつかないかしら。
 お昼近くなってエアコンの取り付けにきた人は、別の部屋の室外機を外しはじめた。外に見物に出ていた旦那が気がついて、事なきを得たけれど、このところ日本人ってどうなっちゃったんだろう、と思うようなことが続いている。麻生総理も選挙運動まがいの、テレビ画面でのインフルエンザに対するコメントなんて担当に任せて、もっと「ニッポンジン人間改造(その前に自分自身の)」を考えたら?


                                 
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